今日もどこかで誰かが死に、誰かが生まれるという話
今年これから交通事故で死ぬ2000人って今何してるんだろうな : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
というまとめを読んだ。
今日もどこかで、病気や交通事故、そして自殺などで人が死に、どこかで新しい命が生まれる。急に更新が止まったブログ、つぶやきがなくなったTwitterアカウント、心当たりはないだろうか。
この地球では毎日、毎秒、かなしい涙が流れ、うれしい涙が流れる。
おめでとう 今日はきっと誰かの誕生日だよ
でも さよなら 今日はきっと 誰かが死んでしまう日なんだよシーソーと消えない歌 - それでも世界が続くなら
この曲の歌詞に全てが詰まっているような気がする。
自殺で死んでしまう人に明るい未来があったのか。
交通事故で死んでしまう人に明るい未来はがあったのか。
それは誰もわからない。
自殺で死のうが交通事故で死のうが結果は同じだが、当たり前だが過程が違うし、世間の反応も違うだろう。
それこそ、線路に飛び込んで自殺すれば逆に迷惑がられてしまう。
死ぬときでさえ格差がある。死ぬ時まで格差社会なんて嫌だな。
僕はどのように死ぬのだろう。
それは誰もわからない。
今日は誰が死んだんだろう。
明日は誰が死ぬんだろう。
それはもしかしたらあなたかもしれない。
エコキャップ運動は善か…?生徒総会で質問してみた
エコキャップ運動と言えば小学校から高校まで広く行われている運動だということはご存知のとおりだと思います。
そして、ネット上では、特にまとめサイトなどはとても叩かれている運動です。
エコキャップ運動はペットボトルのキャプを回収し、400個のキャップで1本のワクチンにかえることができるという一見すれば手軽にエコについて考えることができるので多くの学校などで取り組まれています。
それでだけでなく、企業等でも環境について考えているというアピールにもなるため取り組まれています。
しかし、実際には効率的ではなかったり、逆に環境に負荷をかけているのではないだろうか、というか意見があります。
ということで、私の通っている高校の生徒総会で質問してみたのですが、以下の回答でした。
エコキャップ運動は環境への意識向上のために行っているので非効率的だろうが構わない。 エコキャップ協会の活動、主に収支についても把握していない。
そして現在もエコキャップ運動は継続されています。非常に残念なので次の生徒総会に向けて情報をまとめておきたいと思います。
校内での活動
まずは私達の高校でのキャップの流れを調べてみました。
集まったキャップはエコキャップ運動を担当している保健委員会の本拠地である、保健室に運ばれます。
そして、丁寧に生徒が手洗いをし、乾燥させ、シールが貼っていないかチェックされていました。この先は近くの業者に送られるものだと思いますが、大量にゴミの倉庫の近くにキャップの入った袋が放置されていました。中学校でも処理しきれないキャップが山積みになっていました。キャップは集まりすぎているのです。
この時点で水や時間が使われています。そしてこのキャップを運ぶためにガソリンが使われます。この段階でエコではないと思うのですが…
ペットボトル飲料を消費しないという発想
環境についての考え方として4Rというものがあります。優先順位は
- Refuse(断る)
- Reduce(減らす)
- Reuse(再使用)
- Recycle(再生利用)
となっています。
そもそも、エコキャップ運動自体がこの原則から外れているのではないかと思います。
多くの学校では、キャップを多く集めるために競技のように個数を競っています。上位に入るためにペットボトル飲料を買う人もいるかもしれません。
彼によると弟はその前日、「明日学校でペットボトルのキャップを集めるから、お金ちょうだい。ジュースを買ってくる。」と母親にねだっていたというのだ。
高校の部 審査員特別賞 | 国際協力中学生・高校生エッセイコンテスト | ご利用いただけるサービス - JICA地球ひろば
ペットボトル飲料を1本我慢することでおよそ10本のワクチンを届けられるのです。
直接送金してはいけないのか
日本人は過程を重視するように思えます。多くの人の手間がかかったもののほうが大切にされます。そのため、直接送金するということに抵抗を感じるのでしょう。もしくはそのような発想が生まれないのかもしれません。
いつになったらこの運動終わるんですかね
中学生に原爆とか障害について説いたって無駄
いまどきの中学生なんていくら説明したところで、「ふ~ん?、で?」で終わるのが目に見えてるのに、修学旅行でそれをやることが間違い。
道徳とか(いや、真面目に学校側がやってるか知らないけど)社会の授業の時に小話程度で説明すればいいのに。
「楽しかったねー」をしたい生徒たちに被曝がどうのこうの言ったって、さっさと終わらせろと思われて当たり前。
いかにも、戦争の被害について学ばせてますよアピールをしたかった学校の計算ミスだと思うのだけど。
ついでに言えば、障害を持ってる生徒について理解させようとするのも無駄。
オブラートに包んだ言い方をしてはっきりと説明もしないで差別するなって言ったて「害児」、「ちて」とその生徒が言われるだけ。
知的障害やその他の障害に理解がある生徒なんてほとんどいないのに。
今の時代に良心、常識を持った中学生、高校生がどれだけいるのか、バカッターでよくわかってるはずなのに大人は何を期待してるんですか?
いい加減に理想を捨てたらどうですかね?